サイト「Related Worlds」に関するつぶやき。
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英雄さん
昨日今日と続けて、5-8、9を更新しました。
日付変わる前に更新したいと思っているのに、いっつもぎりぎりで0時過ぎてしまうのです。
まぁ、別にだからどうだってわけではないのですが!
なんだろう、0:02に書き終わったのに気付くと、「わー、日付またいじゃった」ってショック受けるんですよね。
作中に登場した『ジャン・ポッツィ』はクアラーク国ではけっこう有名な英雄さんです。
うーんと、私たちの世界でいうと、イングランドのロビン・フッドのような有名人ですかね。
ジャン・ポッツィが何をしたかっていうよりもまず、その名前が広く人々の中に浸透しています。ジャン・ポッツィっていったら英雄。英雄っていったらジャン・ポッツィ。ってなくらいに。(←よくわからん笑)
いつかジャン・ポッツィの話が書けたらいいなぁ。なんて。
というか、『ポッツィ』っていう響きが良いなぁ…笑
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軍服について
5-7更新しました。
シルマの性格はやっかいで仕方ないのですが、書いていて結構楽しいもんです。アレックが笑う気持ちもよくわかる。
さて、クアラーク王国兵の軍服について簡単にまとめたいと思います。
別に、閉じる必要もないと思うので、このままのページで書いていきますね。
基本的に、クアラーク王のもとにある兵たちの軍服はカーキ色です。それは、近衛兵、騎兵(騎士隊)等に区別はありません。階級の見分けは、胸に階級章をつけているため判断できます。
腕章ですが、近衛兵も騎兵も<緑地に銀のバラの刺繍>が施されてます。これはクアラークの国旗(王家の紋章でもある)が元でできています。
クアラークの国旗は銀のバラが3つ三角形を作るようにして並べられてあります。この三角形は、そのまま線で結ぶとクアラーク本土の形を表したものとなります。土地を模して表されたバラのため、この3つのバラにはそれぞれ地図上の土地と一致するところの地名と同じ名前がつけられています。
……っていうのは、まぁ置いといて。
腕章は、近衛兵がバラ2つ。騎兵にはバラ3つが与えらています。それで各所属の判断もできるようです。腕章のバラに関してはこれもまたいろいろと詳細があるのですが、とりあえずそれだけ言っておきます。
あれー?
13日に5-5から7まで三ページ分一気に更新するはずだったんですが!
くるいまくりです。ごめんなさい。
とりあえず6まで更新しておきました。
7もすぐに更新したいです。頑張ります(*´Д`)
きりの良いところまで
物思いにふけってみる。
……ふけってみる前に、5-2更新しましたよ、の報告を。
拍手をくれる方、いつもありがとうございます!
押してくれてる、って気付くだけで「おしっ、続き書こう!」とやる気が出てきます。
あぁ、ありがたや…(*´∀`)
以下、ただの自問自答です。スルーしてくださって構いません。
書店で見つけて半ば衝動的に買った厚めの雑誌があります。詩と評論を主とした雑誌なんですが、普段から評論を苦手としてる私がまさかそんな雑誌を買ったのには、組まれた特集に『宮崎駿とスタジオジブリ』という題がついていたからです。2004年に刊行された結構前のもので、主に取り上げられていたのが『ハウルの動く城』でした。ジブリにはもちろん興味があったし、ぱらぱらっとめくってみたところ、原作のほうと、原作者のダイアナさんについても書かれていたようなので、すっかり読んでみたくなりました。
大学の専攻が日本語日本文学なだけあって、授業でけっこう作家と作品について詳しくやってきたから、作家がどのような意図でこの作品を書いて発表したか、なんていう討論もよくしますし、自分なりの解釈で授業で発表もします。例えば、夏目漱石は『夢十夜』という作品で明治時代に急速に進みつつあった日本人の西洋化への移行問題について訴えている、とかなんとか。
今日買った雑誌もまた、宮崎監督は『ハウルの動く城』で何を表現したのかっていうのが論じてあります。
作家に限らず、作詞家や音楽家のような芸術作品を公に発表する人って、何かしら他者に言いたいことがあるから公にしてるんですよね。ただの自己満足で自分の中だけで楽しみたいのなら、その作品を発表する必要なんてないわけですし。それが小説だったら、一人で作って一人で読んでいればいい、と。
私もまた、初心者ながら自分の作品をインターネットっていう公の場で発表してるんです。それは自分が書いた物語を他の人にも読んでもらいたいから、っていう意味で公表しているわけですが、どうして読んでもらいたいんだろう、というはっきりとした答えがわかっていません。ただ読んでもらいたい、って思う一心なんです。
漱石や、宮崎監督のように、世間に何かを訴えたいって思えるほどのレベルにいるわけではないですし、そんな知識を私は持っていません。……なら、私は今更新を続けている『フーラス』で何を訴えているんだろう、とふっと思うんです。
ひとつはきっと、誰かに読んでもらうことで、自分の文章能力の向上を図ろうって思いがあるでしょう。それから、シルマやアレックの住む世界を自分だけが知っているのではなく、もっと他の人にも知ってもらいたいっていうのもあると思います。自分だけの空想の中に置いておくのがもったいないっていう気持ちがあるんだと思うんです。
じゃあ、他に何が言いたいんだろうと考えると途端にわからなくなります。世の中の作家さんって、世間にこれを訴えてやりたいって思うからそれを目的として小説を書くのでしょうか。他者の評論の中で言われているようなことを、本人である作者はもちろんわかっている上で作品を書いていたんでしょうか。それとも、訴えたいことっていうのは、作品を書いた後になってから自らが、「あぁ、そうか。自分はこんなことを言いたかったんだ」と気付くものなんでしょうか。
少なくとも、私は書く前から秘密(訴えたいこと)を物語の裏面に隠そうと思って書いているわけではありません。だから、たぶん上に書いた2例で言うなら後者になるんだと思います。無意識化に自分の考えを作中に入れていて、書き終わった後に振り返ってみたところ、「あぁ、そういう意味だったんだ」と自己発見みたいなことになるんではないのかと。
でも、もしかしてプロの作家さんって違うんでしょうか。言いたいことってはっきり決まってるのでしょうか。
だとしたら、私は相当な知識を持って、自分の考えをしっかり持った上で作品を書いていかないと初心者からの脱却は不可能なのかもしれないって思いました。
わー、なんだかひどく頭がこんがらがってきました。
もうそろそろやめておこう……。でないと、寝る前のシルマじゃないけど「考えたらきりがない」って状態になるだけですし。
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