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物思いにふけってみる。

……ふけってみる前に、5-2更新しましたよ、の報告を。
拍手をくれる方、いつもありがとうございます!
押してくれてる、って気付くだけで「おしっ、続き書こう!」とやる気が出てきます。
あぁ、ありがたや…(*´∀`)


以下、ただの自問自答です。スルーしてくださって構いません。

書店で見つけて半ば衝動的に買った厚めの雑誌があります。詩と評論を主とした雑誌なんですが、普段から評論を苦手としてる私がまさかそんな雑誌を買ったのには、組まれた特集に『宮崎駿とスタジオジブリ』という題がついていたからです。2004年に刊行された結構前のもので、主に取り上げられていたのが『ハウルの動く城』でした。ジブリにはもちろん興味があったし、ぱらぱらっとめくってみたところ、原作のほうと、原作者のダイアナさんについても書かれていたようなので、すっかり読んでみたくなりました。

大学の専攻が日本語日本文学なだけあって、授業でけっこう作家と作品について詳しくやってきたから、作家がどのような意図でこの作品を書いて発表したか、なんていう討論もよくしますし、自分なりの解釈で授業で発表もします。例えば、夏目漱石は『夢十夜』という作品で明治時代に急速に進みつつあった日本人の西洋化への移行問題について訴えている、とかなんとか。
今日買った雑誌もまた、宮崎監督は『ハウルの動く城』で何を表現したのかっていうのが論じてあります。

作家に限らず、作詞家や音楽家のような芸術作品を公に発表する人って、何かしら他者に言いたいことがあるから公にしてるんですよね。ただの自己満足で自分の中だけで楽しみたいのなら、その作品を発表する必要なんてないわけですし。それが小説だったら、一人で作って一人で読んでいればいい、と。
私もまた、初心者ながら自分の作品をインターネットっていう公の場で発表してるんです。それは自分が書いた物語を他の人にも読んでもらいたいから、っていう意味で公表しているわけですが、どうして読んでもらいたいんだろう、というはっきりとした答えがわかっていません。ただ読んでもらいたい、って思う一心なんです。
漱石や、宮崎監督のように、世間に何かを訴えたいって思えるほどのレベルにいるわけではないですし、そんな知識を私は持っていません。……なら、私は今更新を続けている『フーラス』で何を訴えているんだろう、とふっと思うんです。
ひとつはきっと、誰かに読んでもらうことで、自分の文章能力の向上を図ろうって思いがあるでしょう。それから、シルマやアレックの住む世界を自分だけが知っているのではなく、もっと他の人にも知ってもらいたいっていうのもあると思います。自分だけの空想の中に置いておくのがもったいないっていう気持ちがあるんだと思うんです。

じゃあ、他に何が言いたいんだろうと考えると途端にわからなくなります。世の中の作家さんって、世間にこれを訴えてやりたいって思うからそれを目的として小説を書くのでしょうか。他者の評論の中で言われているようなことを、本人である作者はもちろんわかっている上で作品を書いていたんでしょうか。それとも、訴えたいことっていうのは、作品を書いた後になってから自らが、「あぁ、そうか。自分はこんなことを言いたかったんだ」と気付くものなんでしょうか。

少なくとも、私は書く前から秘密(訴えたいこと)を物語の裏面に隠そうと思って書いているわけではありません。だから、たぶん上に書いた2例で言うなら後者になるんだと思います。無意識化に自分の考えを作中に入れていて、書き終わった後に振り返ってみたところ、「あぁ、そういう意味だったんだ」と自己発見みたいなことになるんではないのかと。
でも、もしかしてプロの作家さんって違うんでしょうか。言いたいことってはっきり決まってるのでしょうか。
だとしたら、私は相当な知識を持って、自分の考えをしっかり持った上で作品を書いていかないと初心者からの脱却は不可能なのかもしれないって思いました。

わー、なんだかひどく頭がこんがらがってきました。
もうそろそろやめておこう……。でないと、寝る前のシルマじゃないけど「考えたらきりがない」って状態になるだけですし。
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無題
こんにちは、「草まくら」の旅人です。
内容を興味深く拝読いたしました。

そうですよね、世の中の作家さんたちは、訴えたいものをもって作品を書いているのか、気がつけばそういう主旨になっていたのか、わたしも訊いてみたいです。
ここからは、素人物書き旅人の意見になりますが…。
わたしも訴えるもの云々というよりは、自分の描いた話を読んでもらいたいからネット上に掲載したり、友人に読んでもらっていました。
訴えるものをもって描き始めたのはつい最近です。
でもその訴えるもの(つまり物語の柱とわたしは考えているのですが)それがあると、物語はものすごく生きてきます。
プロの作品でも、よい作品と思われるものは、訴えるものがあって、それが確かに読者の心に響いているものだと思います。
でも、そういう話は多くはありません。
わたしは、プロの人も明確な柱をもって描いている人は少ないんじゃないかと思います。
漠然としたものがあって、描いた作品が読者によって花を開かせる。そんなことのほうが多いんじゃないでしょうか。

・・・わたしも頭がこんがらがってきました。
でもきっと、はじめは描きたい、読んでもらいたい、という気持ちで良いと思います。
訴えたいものは、人生経験を重ねて出てくるというものが多いような気がするからです。それによって、共感を得ようとするなら、なおさら経験がいると思います。
悠さんは心に響いてくる話が描きたいのでしょうか。それとも、世界を楽しんでもらう話が描きたいのでしょうか。
たぶん自分がどんな話を描きたいのか、そこだと思います。

興味がわいて、差し出がましいと思いつつも、ついコメントを入れてしまいました。どうぞ読み流してやってくださいませ。
悠さんの執筆活動の発展を祈っております。
長文、失礼致しました。
2010.05.01  14:37  Posted by 旅人 | Edit
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